前回の記事を書くまでブログから半年ほど離れていたんだけど、実は最近拠点を移して職場の距離と自然の距離が近づいて通勤にかける時間も減り以前より時間が出来たんですよね。元々ミニマリズムに傾倒はしてたけど今回の引っ越しで更に所有物を減らしかなり簡素な空間で暮らせてる。
おかげで余計に氣を取られるでも時間を取られるわけでもなく落ち着いて生活出来ててかなりfeel so good…
エネルギーも時間もぽかっと出来たし小さくより豊かに暮らしてたところに久々文章やら言葉を綴りたいなぁと自然に湧いてきたってわけです。
「無」から生まれるこのじわぁっとした衝動が大好きで素敵。
惹かれてた湖畔での暮らし
冒頭で拠点を移したと記したんだけどハタチ過ぎからなんとなく惹かれていた湖畔の町に引っ越してきたんですよね。元々自給自足ベースの暮らしや自然の近くでひっそり穏やかに暮らすことに憧れがあった。
多分、四隅大輔さんやソローの湖畔の暮らしや当時よく読んでいた島暮らししてる方の影響があったんだと思う。今思い返すとね。
メインストリームから逸脱してアンダーグラウンドに最高にイケてる暮らし方をしたかった。
そして実際に暮らしてみて、かなり暮らしが小さくなりました。
早起きして朝焼けが良さそうなら湖畔でサンライズを拝む。
散歩から戻れば自分で焙煎した珈琲豆を挽き、湯を沸かしじっくりとドリップして朝の静寂を慈しみ、完全にキマった状態で畑仕事へ向かう。
夜はいい感じの音楽を流し、奥さんの作った一汁一菜玄米ご飯を食べて早目に寝る。
DAY OFFならばいつも通り極上の朝を過ごしたのち湖畔にsupへ出かけたり、涼しくなった夕方に水辺でひたすらchill out.
この繰り返し。
刺激がないといえば特別な刺激はないのかもしれない。
ただ、日常の微細な変化や移ろいに心を満たせていて、四季巡る食材をシンプルな調理で頂けるだけで十分。そして珈琲の表現に没頭し、冬になれば雪山で板に乗る。十二分である。
dopeに侘び住まい
前章で暮らしが小さくなったと言った。
一般的に小さくなったと聞くと、
贅沢出来なくなった、収入が減った、家が狭くなった、などなどプラスな印象は受けないかもしれない。
小さくなった=ミニマムになったとそのまま解釈してる。
ぼく的には地に足の付いたスタイルとペースで自分のやりたい事をじっくりとやれてるなと。
ミニマムとは余計や不要を手放し、本当にやりたいことや時間を使いたいことにより集中したり時間をかけること。つまりは生きてく上での余計な時間やわずらわしいことを最小限にして本当にやりたい事を最大化していくこと。
小さく、というよりは研ぎ澄ませにいく。コレって決まっててそれを集中してやれたり何かに気を取られない状態はストレスフリーでかなり氣持ちの良い状態だ。
何か物事を取り入れることも大事だけど、肥大しすぎたシステムの中で潔く手放すことや情報を遮断するセンスの方が必要になってくる。
ここ最近の個人的な流れとしては広げていく感覚よりも奥に入ってく感覚で、日本人らしく自分の志事に真摯に向き合い追求して、足るを知り、日々を慎ましく美しく感じ暮らしていきたい。少し奥まったこの場所で、ひっそりと本当にやりたい事、穏やかにやりたい生活を営んでいたいだけなんだ。
畳の上にドッシリと座りながらね。
dope=最高にカッコいい、奥深い本物。
侘び=ひっそりと、シンプルなものに美しさを見出す心、感性。
日本人の感性ですね。
あれも、これもというんじゃなく。
地に足つけてコレがしたいと向き合う日々。
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